はちぶんめ子育て

大雑把なシングルマザーが敏感っ子のプリンセスを育てています

敏感っ子が不安でおしつぶされそうなとき、私がしていること

 

娘の ころも(4歳) は不安が多い女の子です。

 

例えば、水族館へお出かけする時

 

「まま、ちけっともった?」

 

「もったよ」

 

「まま、すいぞくかん、あいてなかったらどうする?」

 

「大丈夫。予約したから空いてるよ」

 

「まま、くるまうごかなくなったらどうする?」

 

「大丈夫。動くよ」

 

「おさかなさん、ちゃんとおよいでるかな?」

 

と、延々と不安の連鎖が続いていきます。

 

私が全く予想しない不安を口にすることもしばしば。

 

それは言われ続けると私まで不安になってくるほどです。

 

私は

お出かけを主体的に自分の出来事として捉えているんだなあ

と感心しながら

(私が子供の頃は現地に到着するまでどこに行くかあまり考えなかった笑)

 

ひたすら「大丈夫」を繰り返しています。

 

経験を通して、ころもの中の「安心」を少しずつ広げるために。

 

でもそれだけでいいのかな、と疑問に思うことも…

 

水族館は無事に行けましたが、

この方法では世の中への不安が多すぎる気がしました。

 

これから出会う様々な初めて。

 

学校生活から社会に出るまで。

 

それらに出会うごとに一つ一つ不安を解消していくことでいいのだろうか、と。

 

現代は基本的に大丈夫ではないことが多いですよね。

 

でも大人はどこかで目を瞑って生活しています。

 

そうしないと生活できないからだと思います。

 

ころもは、予想能力や物事を感じる力がとても強いので

世の中の不安定感とか

危機とか

理不尽なこととか

他の人以上にビシビシ感じて生きていくんだろうなと思います。

 

そんな子に能天気な私の「大丈夫」は響かないのかもしれないなあと

 思いました。

 

 私は、悩みました。

 

そこで私が導き出したのは、

ころもが絶対的信頼を寄せているもの。

 

神様、イエス様でした。

 

私はキリスト教徒ではありません。

 

むしろ、自然生物の中で人間は下の部類にいると考えているタイプ。

 

エス様に頼ったことはありませんでした。

 

でもたまたまころもの幼稚園はカトリックでした。

 

「イエス様、どうかお見守りください」

 

と日々唱えています。

 

「お食事を与えてくださってありがとうございます」

 

と挨拶をしています。

 

私には違和感がありましたが、 

ころもはこの教えをすんなりと受け入れています。

 

その時私は思いました。

 

「彼女の不安を、神様に委ねてもいいのかもしれない」

 

ころもを見ていて、神様を信じる人には敏感な人が多いのかもしれないと思いました。

 

世の中の不安に耐えることが出来ないのかもしれないと。

 

それから私はころもがどうしても不安に耐えられなかった時、

私の「大丈夫」では物足りない時、

 

「ひとりで不安になったら神様に聞いてごらん」

 

と言っています。

 

「神様が大丈夫って言ってるよ」

 

とは言いません。

 

あくまで自分で聞かせます。

 

以前の私だったら絶対に考えられないセリフ。

 

でも、ころもは少し落ち着くようです。